私の中学受験2
約30年前の私の話ですが、なんちゃって塾の根幹にかかわる部分なので。
4年生。親に連れられて行った塾が、その当時四谷大塚の準拠塾でした。
入塾テストで準拠塾の一番上のクラスに入りました。
四谷大塚もB会員(AとBしかなかったと思います)の週テストを受け始め、惨敗に次ぐ惨敗。
国語は小さいころから読書が好きだったのもあり得意科目でしたが、算数がダメ。
どんどん下降し、7点偏差値23をたたき出す結果に。
A会員の塾生に「偏差値7男(へんさちななお)」と呼ばれました(笑)
偏差値7なんて出るわけないだろ、と当時の私は分からず。ヘラヘラしてました。
算数がボロボロでした。
4年の終わりか5年の初めにA会員に落ちました。
受ける会場が変わり、電車に乗る時間が短くなりました。同じ塾の子がたくさんいて、エキナカのカレー屋でエッグカレーを食べて帰るのが楽しみになりました。
また、週テストが簡単になったのと、準拠塾の算数の先生が変わりました。
ここで基本問題の大切さを痛感します。今までは中途半端な知識で応用問題を解いてたことで泥沼に陥っていたことが分かりました。
そこから算数の成績がぐんぐん伸びます。パズルみたいなものだと思い始めます。
このあたりで、難しい勉強って楽しいな。になります。
一方、親はA会員になったあたりで私に興味を失っていたみたいです。
ちょうど自分独りで塾に向かうようにもなってましたし。
郵送で週テストの結果が送られてきてました。
A会員で満点賞を何度か取ってたのですが、
「封筒になんかいつもと違う紙が入ってたよ」
くらいでした(笑)
両親共働きだったので、仕方なかったと思います。
A会員で全国2位を取りました。6年生でC会員に上がりました。
5年の頃、小学校の担任の先生が、自分の子が行っていた私学を進めてくれました。(偏差値52くらい)
情報も特にないので、そこを目指していました。
6年の夏くらいだったか、塾の3者面談。
「いや、うちの子は○○中学目指してて」
「何を言ってるんですか、お母様。かずしくんは十分難関校にいけますよ!」
「ええ!?」
この頃は、とにかく難しい問題解いてみたい。勉強楽しい。でした。
しかし、上のクラスに行きたい、難関校目指したい、これらの気持ちはほとんど無かったです。
家ではほとんど勉強しなかったですね。塾のない日は友人と川へ釣りに行ってました。
なので、親もそんな成績出しているとも思ってなかったみたいです(笑)
自分もそんなに良くなっているのかとかも、よく分かっていませんでした。つくづく能天気な小学生でした。
受験直前はほぼ何もしてませんでした。今も手元にある「四科のまとめ」ほとんど使った形跡がありません(笑)
偏差値60オーバーの中学に合格。ちなみに、○○中学も2次で合格しました。
小学校の先生からも「そこに受かったのなら、そっちにいきなさい!」
と強く言われました(笑)
でも、私は小学校の友人と離れたくなくて、学区の公立中学校に進学したいと反抗しました。
「何のために今まで頑張ってきたんだ」と親は言いました。
「勉強が楽しかったから」と私は答えました。
ま、最終的に難関校に進学することになりました。